日本の歴史を詠み読む 49  <織田豊臣政権4>九州弓箭   侵略外交  キリシタン大名の動員

日本の歴史を詠み読む 49  <織田豊臣政権4>
九州弓箭   侵略外交  キリシタン大名の動員 植民帝国と宣教師  
キリシタン禁制  聚楽行幸  刀狩と海賊禁制  

        <九州弓箭>

秀吉あおりたてぬ「九州動員は天下、大名、侍のため」と


「このたび島津こと殿下(関白)へ御敵」九州征伐の理由なり


動員の先鋒命ぜられたは毛利氏にて動員令の特徴は毛利分国の統制と九州対策なり


統制の要点は要衝以外の城の破壊、海陸の関所の撤廃蔵人地の確保


九州対策の要点は豊前肥前の領主より人質とること門司・麻生・宗像・山鹿の城へ
  
                 兵糧、軍勢集結 、九州への道路整備など


かっての戦国大名毛利氏は動員令振りかざして大名権力そのものを強化したり


豊臣政権への従属深めることが分国大名の権力強化につながる


1587年秀吉南下軍団は馬数3千総人数2万5千余に本能寺、京堺の豪商までも


動員令は畿内のみにとどまらず北国東海中国四国にわたる40カ国近くの国々に
                   25万を超える軍勢が強要されたり


石田大谷長束ら側近は蔵前の集結と分配を小西らはそれらの輸送を命じられぬ


秀吉軍団は一向一揆との対決時の戦法繰り出しぬ「兵糧爪、堀埋め。水攻め、
                   水の手留め、攻め殺しなど

備後鞆の津の「公方様御座所」にありし足利義昭の勧告受けて講和成立


秀吉関白政権の力及ばぬ武家世界の伝統思い知りぬ


秀吉これを取りこみ権力増強に利用しぬ義昭の長子義尊を奈良興福寺大乗院
                の法嗣に推挙、義昭を准后として1万石の知行与えぬ


九州作戦の裏で大坂中島御堂きっての実力者下間頼廉活躍


秀吉軍薩摩和泉に海上敵前上陸島津義久を急襲したおり不知火湾門徒の協力有り
           義久降伏

島津氏は一向宗徒に厳しい抑圧したれば助勢には一向一揆の性格有り


秀吉軍への逆徒たりし島津氏ゆるされ薩・隅二国の大名として地位保証されたり


島津軍と戦いし一向宗徒たち厳しく抑圧され「かくれ念仏」に抵抗の火ともす暮らし



画像



 <侵略外交>

秀吉は玄海湾突破の渡海計画を小西行長、九鬼義隆に立案させぬ


秀吉さしあたり対馬の宋氏介しての外交交渉にすべて委ねぬ


秀吉の要求は「高麗国王参内」「国王日域に至り参洛」なり
  
        天皇への服従が秀吉への服従に通ず

国王の返答次第で軍の進攻をとどめよう


宗氏長きにわたり朝鮮との交易が経済を支え、朝鮮の階位与えられおり


宗氏日朝両国に関係持つゆえ複雑な立場侵略計画の阻止狙い交渉を攪乱す


秀吉箱崎に着陣し「九州御国分」論功行賞始めぬ九州軍事基地化のねらいなり


秀吉は小早川、黒田、佐々などの大名土着の領主らに知行与え、大名領内に
                    台所人「蔵入地」を設定

侵略体制は黒田森佐々らを周りに置き小早川氏を中心に博多を拠点とす


秀吉は博多を伝統ある大陸交易の港としてそこに根を置く豪商の持つ貿易家としての情報能力を重用


秀吉は茶会利用し博多堺の豪商の力を結集愛外侵略に集中させようと深謀


秀吉九か条の「定め」を筑前国博多に下し完全な町人都市づくりを目指す

         
 <キリシタン大名の動員>

宣教師コエリヨはポルトガルの高性能船に乗り込み博多湾に登場


秀吉はキリシタン大名厚遇しコエリヨ、フロイスなどはイエズス会らしい植民地政策行う


秀吉は宣教師通じて九州10数万のキリシタン勢力を取り込もうとしたり

         
  <植民帝国と宣教師>

イエズス会宣教師ポルトガル商人、ローマ教皇ポルトガル国王は一体となり 植民帝国の拡大はかりぬ


日本での布教方針の基本は「身分の高いもの」「上流の士で学を有するもの」
                    改宗させ次いで「奴隷のような農民」を絡めとること

大名、大名と結ぶ豪商はポルトガル船のもたらす物を独占し、強い軍事力と巨利得たり


銀漆器男女の奴隷などでポルトガル商人の上げる利益は「略奪貿易」のごときもの


農民に対するキリシタン化は「セスタ講」「慈善組」などの組織により進められぬ


講や組は寄付によって進められねらいは貧者病人罪人の救済、農民、漁民、職人に技術や天候への
                                      知識を与えること実践の学を与える


キリシタン組織のありようは一向宗の講に似たもので教会と商館港湾を擁し排他的特権を持つ教会領
                                 (植民都市)長崎は一向宗寺内都市に似通いたり

              <キリシタン禁制>

1587年6月秀吉大名向けの「覚」と宣教師向けの「定め」にてキリシタン禁制
          宣教師は多くの人集め日本に革命をおこそうともくろむ

日本は神国故に邪教持つキリシタン国とは区別されるべきと


国郡も領主も「当座」の知行人故「天下の御法度」に服すべきと


宣教師は20日以内に退去し帰国すべきととの宣教師退去命令なり


ポルトガル船「黒船」の商売は長期的に保障し一般商人その他の人々の来日は認める


この追放令は博多を門戸としたポルトガル貿易の独占と統制、キリシタン一揆への弾圧
                                         目的とするものなり

「上級領主が信者になるには「公儀御意」必用なれど下層のものは自由」と「覚」にあり豊臣政権による
                                         階級支配の強化策の一環

キリシタン大名ジェスト高山右近は禁制拒否し大名の地位捨てたり黒田如水、小西行長は反抗示さず


侵略基地として五畿内同然目指した九州の一角が土着一揆により崩れる危機あり


隈部氏阿曽氏ら土着の大名領主にせん動された肥後北部中心の一揆3万余となりぬ

          豊前肥前筑前でも一揆の気配有り


吉は西国の諸大名を一揆大名に出動させ石田ら側近の重要人物も派遣さる島津軍も参加


一揆は半年に渡るも鎮圧され隈部山鹿など首謀者は処分され一揆は払しょく傍観していた
                                    肥後の旧族、国衆も徹底的に掃討された


「逆意の族,尋ね捜し、ことごとく成敗あるべく候、国郡荒れ候ても苦しからず」


この一揆の原因救命した秀吉は佐々成政の失敗と成敗す
  
         秀吉の指令を無視した国侍、百姓への対応の甘さ


成政は「逆意」の罪数え立てられ尼崎に幽閉され死罪


成政死後肥後に入国した加藤清正、小西行長は成政の施政方針を受け継いだり


成政断罪の目的は豊臣政権への公然たる反抗の責任を誰かに転嫁し政権を守ること


秀吉は自己の公儀性を主張し喧嘩両成敗によって超然たる権威であることを示した
                                   一揆に関係した国侍たちも成政とともに死罪

            <聚楽行幸>


1587年9月関白政権の正式の都の政庁としてここに入りぬ


1588年の聚楽行幸は公儀性を仕上げるための秀吉の演出なり


新第始めは「内野御構」と呼ばれたが長生不老の楽を集めた聚楽第と名付けぬ


聚楽の城館は公武を統べる政権の本拠にて行幸はその示威の総仕上げなり


秀吉は後陽成天皇を禁裏まで出迎え諸大名を招集して五日間に渡る荘重華麗な儀式行ないたり


第二日目秀吉は「禁裏正税」行いし後諸大名に「禁中へ対し奉り誓詞」行わせたり

   
        天皇ほか公卿たちに銀、米など配布
           
誓詞にて天皇に服従誓うも実は天皇の面前で関白に臣従誓うことなり


誓詞には織田信雄、家康、秀長、秀次、宇喜多秀家、前田利家ほかに24名名を連ねる


誓詞第2条にあり「関白殿の命令には何ごとも背くこと無し」と


むき出しの武力による服属関係が伝統的な宮廷の位階官職の秩序で色揚げされたり
       
   関白政権の政庁で天皇関白の面前で官位を頂戴

秀吉は東山阿弥陀が峯のふもと六波羅に大仏殿の造営開始


諸大名に「大仏殿御普請手伝い」の負担課したり宇喜多氏前田氏にそれぞれ1万人


毛利氏はその領内より1300本を超える檜材に鉄までも運上させられぬ


秀吉は諸国より集積した大量のコメを毛利領の鉱山に投入し鉄の産出を強制的に確保


材木を伐採し鉄を掘る山人、船に生きる海人もコメの供給を主とする強制力で毛利氏に
                            掌握されぬ

1587年7月刀狩令と海賊禁令出されぬ


両令のねらいは農民海人倭寇に対する武力解除と交易統制これ、豊臣政権の民衆支配の理念なり


収集した武具は大仏殿の釘やかすがいになすと大仏への結縁を百姓に呼びかけぬ


海賊禁令で浦改めつまり海人の調査掌握と誓詞連判の提出を要求
           一向一揆の根源の解体のねらい


浦改め令は大陸侵略計画の渡海に供えた輸送力整備計画の一端


ポルトガル船やバテレンの根拠地(植民地)長崎を豊臣直轄領に没収し鍋島氏に代官命ず


対外交易の独占を進める政策の一環

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