題詠は言葉のイリュージョン 3 ダンス、家元、練  

  
それぞれの人がそれぞれの言葉にそれぞれの認識、意味、幻影、記憶を抱く


           <ダンス>

敬老の祝賀パーティー フラダンス踊り手は皆六十路半ばと
 


私の住んでいる地域では、毎年敬老の日に自治会主催の敬老祝賀パーティーが集会場で開かれる。
毎年出席するのも気が進まなくて、昨年は欠席したが、今年は、老人会の会長が所用で出席できないため、副会長の私が御礼を述べる羽目になってしまった。
フラダンスサークルの女性たちが、余興のフラダンスを演じてくれた。今年は近くのハワイアンサークルの人たちのウクレレと歌が加わって盛況だった。
皆さんメイクをして髪に花飾りをつけ、ムームーを着た姿で生き生きと踊る姿は年齢を感じさせないが、聞いてみると皆さん還暦は過ぎているということだった。
好きなことをがんばるということは、アンチエイジングの妙薬だと再認識した。
この地域では 500戸ほどの地域で均すと、五軒に一軒は高齢者が居るとか、老々介護の家も多いと聞いた。

アイスダンス男女の足が絡まりて滑ってほぐれ又も絡まる


 氷上スポーツの時期で、今日からはフィギアスケートのNHK杯が開かれるという。
シングルやダブルのフィギアもいいが、私は男女のペアーで滑り踊るアイスダンスに心惹かれる。
テレビではあまり見る機会がないが、昔、長野オリンピックの時はたっぷり見ることができて病みつきになってしまった。
氷の上でなければ、きわどくエロっぽく見える絡み合いが氷の上だとスムースで遊美に見えるのが不思議だ。


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           <家元>

華道界異才の華人現れぬ家元今に死語となるやも



 終戦後住んでいた祖父の家には、二〇代半ばの姉と叔母が一緒に住んでいた。
叔母は祖父の後妻の娘で、姉より少し年下で、二人の間にはいろいろ確執があったが、華道も原因の一つだった。
姉は小原流の、叔母は未生流の華道を習っていて、出世争いもしているようだった。
私は小学生だったが、その様子から家元制度があることを知った。
 最近は雑誌などに華道家と呼ばれる假屋崎省吾、前野博紀、木村貴史さんなどの作品の写真が載っていて、共に草月流で学んだようだが、古くからの流儀の家元制度から飛び出した感があって、作品にも独自性、個性が見られる若い男性群であることに感心し、家元制度が見直されるようになるのではと思ったりする。
あるいは、彼らがそれぞれ家元のような存在になった新しい団体が生まれるのだろうか?
いずれにしても、花嫁修行としての生け花、それを支える家元制度は廃れてゆくような気定かには呼ばねど短歌の世界にも家元らしき人がチラホラ
がする。


定かには呼ばねど短歌の世界にも家元らしき人がチラホラ



 短歌には結社があり、歌人の多くは、いずれかの結社に属している。
結社の代表者、指導者たちの活動、書いた文などを見るにつけ、短歌会のピラミッドの頂上部に位置し、大きな影響力を持っていることを感じる。
華道、茶道の家元とは異なるが、一種の家元のような気がするのだ。


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          <練>

「練」の字ですぐ思い浮かぶのは「練習」「練る」だ。
練習からは、「受験参考書の問題集の練習」、「スポーツの練習」が連想され、練るからは、「餡を練る」「練りようかん」「小説の構想を練る」などが思い出される。

今日も又餃子の中身練っている子ら巣立ちたれば少量なれども 


練りようかんは大の好物だが、長いこと自分で作ることはしてない。その代わり餃子はよく作るから、中身はよくこねる。
子供三人が居た頃は、五十個作っても足りなかったのに、高齢者二人の今では、皮一袋分の二十五個作っても、一度には食べきれなくなってしまった。
残りを二階に住む孫たちに提供したり翌日揚げ餃子にしたり、ラーメンに入れたり、家族構成の変化は、家庭料理の様変わりの原因になっている。

ヒット出ぬ野球チームにおまえらは負ける練習したかと悪態


今年は巨人軍の春のキャンプが沖縄で行われるとか、沖縄に住む娘は、阿部捕手のフアンだから、喜んでいる。
キャンプでは、漫然と練習するのではなく、それぞれに課題を持って励むはずなのに、欠点が直ったり、技術が上がったなどの結果が見えない選手がよくいる。
 ゴルフの石川遼選手は、ホールインワンやすばらしいチップインワン、最小コースレコードなど卓越した技を見せるのに、ショットやパットで同じような不手際が続くことがある。
そんなとき、主人がいらいらして言うのが「負ける練習してきたか」だ。

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