「インドにおける「聖」と「俗」」(ブログ名、わたしの仏教)を読んで

インドにおける「聖」と「俗」」について
俗があるから、聖が求められ、聖が生まれる。
聖があるから、俗が際立つ。
聖と俗は人の心の善悪と同じ。
聖と俗は腹と背中、表裏一体。
精神的にしろ、物質的にしろ俗を抜け出し、聖に到ろうと意欲するところに人間の、社会の進歩、発展が生まれる。
 それにしても、死体を河に投げ出す所がまだ現存するとはーーー
食品の賞味期間、賞味期限不遵守が罪になりそうな国もあるのにーー
posted by 七十路淑美 at 10:08Comment(2)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

  • 首藤

    インドは、矛盾に充ちた国ですね。カースト制度がまだ残り、死体をインダス川に流し、そのすぐそばで水垢離をとり、街角には死体が転がっている。一方で数学教育に力を入れ、コンピュータ技術では世界一の水準を持ち、無抵抗不服従のガンジーを尊敬しながら、核兵器を持っている。一度インドを訪ねた旅人は、その魅力に取り付かれる。私にはよく分かりません。
    2007年01月29日 14:29
  • 六十路独り言

    首藤様ありがとうございます。
     よその国がテレビや雑誌で紹介されるときは、たいていが光の当たったよい部分です。それを見た人間はそれに幻惑されて、憧れます。
    しかし、世界にはまだまだ日の当たらない影の部分があります。
    インドには、その両者が共存しているのでしょう。
    日本であれば、直ちに問題になる環境、暮らし、人間関係が見過ごされているのは、人口の多さ故の不備でしょうか?
    お国柄でしょうか?
    ワーキングプアーなど、悪くすると、日本にも影の部分がおおきくなる懸念を感じるこのごろです。
    2007年01月30日 16:02

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