七十路淑美の独り言 (改、六十路独り言)

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<<   作成日時 : 2007/10/27 14:53   >>

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短歌雑誌にひしめく数多の歌を読む理屈など言わず好み見つけよう



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我思う歌詠みの術を裏付ける
        主張見つけて意欲更なり

    
                  我が流儀無手勝流との自覚あり


はずれたる奥の義歯再びはめられぬ
        知己ならぬ人と居るよな窮屈

                  不用意に口に含んだ飴が犯人



帰りなさいと帰宅促す音楽が
        1時間早まり夕日もせかせか

                  本当は日没早まる故だけど

                  早まりし初日のとまどい爺と婆





神無月終わり近けれど熱低が
        台風に化身と予報が伝える

                  咲き初めた菊がしょんぼり濡れている  

                  この夜に韋駄天走りで駆け抜けるとか




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「短歌研究」という名の雑誌の11月号で、「短歌で許される創作の範囲とは」という特集が組まれ、歌人の方々の意見が載せられているのを読んだ。
黒か白かはっきりと断定するご意見はあまりなかったが、中に一つ、僭越ながら常日頃私が思っていることに相通じる御意見に出会って嬉しく思ったので、無断ではあるが、その要点を紹介させていただき、私見を述べてみようと思う。
 お書きになったのは、「アララギ」の継承誌の一つである「歌人21世紀」の主宰者である大河原惇行氏で、表題は「事実と表現」。
「勝手に作ればいいのである。
 作歌においても、そのように受け止めている。
短歌に許される「創作」の範囲とは何か。そのことを考えて、いよいよとなれば勝手でいいのではないか。
       ーーーーーーーー
作品がすぐれていればそれでいい、そう思うのである。
一つのものを見たと感じるか,見ないと感じるか、ここに、人の違いを見るのである。それが受け止めた事実というものだろう.その違いが歌を作らせるのではないか。
       ーーーーーーー
作品は、ただそのまま受け止めればいいのである。
そこから先は、詩になっているかどうか。
詩になっていなくてもいい、感動を人に与えるかどうかだが。
それが作る側からすれば、勝負なのではないか。それが言葉による表現なのである。
     ーーーーーーーー
歌の解釈及び受け止め方は、己の身丈を出るものでないということだろう。」

ここで言う己の身丈とは何を指すか?
歌を作る人の教養、知識、過去から現在に至る生活環境、人生経験であり、それらが生み出すその人の感性だと私は解釈する。
 自分の感性の及ばぬものを歌に詠むことは出来ないだろうし、詠んだとしても、人を共感させ、感動させるものは出来ないだろう。
自分とは感性の幅、深さ、領域のちがう人の歌を読み、心で感じ共感することは難しいだろう。
そうなると、その人の伝えたいことはそっちのけにして重箱の隅をほじるような批評をして、自己納得をすることにもなる。
人それぞれに身丈が違う。
一人の人が歌を詠んだ時、似た身丈を持つ人は、その歌を現実と読むだろうし、身丈の異なる人は創作と思うだろう。
短歌において事実か創作か、それは詠む人、読む人の身丈の違いによる判断であり、相対的なものではないだろうか。
いろいろな人の歌を現実と理解したり、感じ共感するためには、自分の身丈を大きくすることが大切だ。
 それでは、自分の身丈を大きくするにはどうすればよいか?
古歌、有名な歌人の歌を読むことは役立つだろう。
しかし、それでは短歌の世界の中での身丈であり、限界は免れないだろう。
短歌人であることに縛られないで、あらゆるものに目を向け、興味を持つ広い視野と好奇心を持つこと、これが大切だろうと考える。
バリアフリーの視点で培われる身丈の大きさこそが新しい短歌の作詠、読みとりの源泉であろう。


暴風雨(しけ)去りて蒼穹映す野比の海
          グラデーションの青藍キラキラ

                     色目違う水の帯連ねて沖に拡がる

                     野比の地は三浦海岸の一部です


韋駄天の台風去りし砂浜に
         遊ぶ親子に秋の日燦々

                     日曜の午後です犬も嬉しそう                      


台風一過観音崎より眺めれば
         房総半島くっきり近し

                     鋸山峰の凹凸露わです

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コメント(11件)

内 容 ニックネーム/日時
私の所属する「日本海」の指導者、田中要さんが「短歌21世紀」の選者でもあります。今、短歌は新しい表現を求めて暗中模索の状態です。結局は「歌はその人の人生の軌跡」で、それぞれが自分流に詠み、それに共感するかどうかは読者任せです。六十路さんのおっしゃるとおりです。
首藤
2007/10/27 16:26
こういう記事を読むと・・・考えさせられますね。
写真だけのブログを歩いていると、失礼かと思って書き込みをしてくるのですが・・・。
ちょっと考えさせてくれる記事に出会うと嬉しいですね。
Tatehiko
2007/10/27 22:38
「己の身丈」、とてもいい言葉だと思います。
思えば母によく言われた言葉でもありました。
あればあったなりに暮らせばいい、なければないなりに暮らせばいい、
いつかよくなろうねと、上をめざせばいい。
暮らしのことだけでなく、心のありようもそうだと思います。
「己の身丈」は、それまでの自分の人生そのものなのですよね。
単価はつい「考えすぎて、よく見せよう」という思いがあって、
なかなか余分をそぎ落とせずにいます。
自然体で、今の暮らしを詠んで生きたいと思います。
とんぼ
2007/10/27 23:33
あいかわらず、そそっかしくそのままアップしてしまいました。
「単価」じゃなくて「短歌」…です。
これだもの…失礼致しました。
とんぼ
2007/10/27 23:34
首藤様いつもありがとうございます。
「歌はその人の人生の軌跡」言い得て妙です。
それ故に、よい歌、人の心に響く歌を詠むためには、自分自身よい生を生きることが大切なのでしょうね。
歌は自分の人格、生き様の鏡像とも言えるかとーーー
六十路独り言
2007/10/28 10:43
Tatehiko 様ありがとうございます。
最近はお休みしておられますが、歌作りに少しでも参考にしていただければ嬉しいです。
ご自身のブログに「不器用」と言うことを書いておられますが、歌作りは、変に見かけの体裁に凝る技巧よりは、不器用な方が素直に自分を出せるのだと思います。
六十路独り言
2007/10/28 10:50
「身の丈に合った暮らしを」と私も母に言われました。
でも,あまのじゃくの私は「かけ離れた身の丈には憧れないけれど、少しでも大きな、高い身の丈になるよう頑張らなくてはーー」と思いつつこの歳まで生きてきた気がします。
「短歌で余分なものをそぎ落とす」私も心がけます。
六十路独り言
2007/10/28 11:00
おババさん、顔写真が出ましたね。
お姉さまとお呼びする方がピッタリしそうです。
失礼お許し下さい。
孔子が七十にして矩を超えずと仰っています。
身の丈を言えるお年になられたんでしょうね。
これからも、おババさんの感性を頂ける事を期待してやみません。
Hbar
2007/11/01 08:17
身の丈に合ってと言われても、短歌や俳句は本当に難しいです。
色々読ませて戴いて、俳句でもと思いましたが、私の身の丈に合っているのは、川柳だろうと思っています。
背伸びしないで、これからの余生を送りたいと思っています。
多摩三郎
2007/11/01 10:20
Hbar 様ありがとうございます。
これも歳の故でしょうか、実際の身の丈(背丈)は最近少し縮んだようです。
顔の大きさはまだ厚かましく大きさを保っていますがーーー
顔を見せた方が、内容に説得力が出るかなと載せて見ました。
出せるのも今の内かとーーーー
六十路独り言
2007/11/01 13:52
多摩三郎様、ありがとうございます。
ご謙遜なさらずに、いろいろとお書きになって下さいませ。
私の作にしたところで、れっきとした方が見れば、俳句や短歌からは多分脱線していることでしょうが、これすなわち私の身丈と厚かましく書いております。
背丈は少しずつ縮みますが、感性の身丈は、枯らさぬよう頑張ろうと思っています。
六十路独り言
2007/11/01 14:00

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